私の戦後80年談話
「東京裁判史観」から「マッカーサー史観」へ
「先の戦争はアメリカにとって、侵略国家である日本を徹底的に叩きのめした正義の戦いであった」。「日本の抵抗で戦争が長引き日米両国に多くの死者が出たのでアメリカは戦争を終わらせるために広島と長崎に原爆を落とした」。「戦前・戦中の日本は国民を戦争に向かわせた暗い時代で、アメリカの勝利によって日本は民主主義国に生まれ変わった。よって日本の戦争責任者は平和に対する罪で裁かれて当然であった」。このような戦勝国アメリカの歴史観に沿って東京裁判は行われたことから、この戦勝国史観は「東京裁判史観」と呼ばれ、日本政府は学校教育でもそう教えてきた。
しかし、この史観と対極をなす「もう一つの史観」が大戦直後からアメリカにはあった。6年8か月にわたり日本占領の最高責任者であった連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、朝鮮戦争における戦略上の相違でトルーマン大統領(民主党)から罷免され、1951年5月、アメリカ上院軍事・外交合同委員会で「先の戦争は日本にとっては自衛のための戦いであった」と証言した。この歴史観を「マッカーサー史観」という。
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
(従って、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった)。
日本の占領統治責任者のこの証言は東京裁判史観を覆し東京裁判の正統性を否定するものであった。さらにマッカーサーは「アジアの赤化を防ぐには朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙する戦略を取らねばならない」と主張した。これこそまさに日本が大東亜戦争でとった戦略であり、日本の戦争の真意は間違っていなかったことを証明するものであったが、占領下にあった日本では「マッカーサー証言」のうち「自衛戦争」に関する部分は報道されることはなかった。
「アメリカの歴史修正主義者」
東京裁判史観を絶対的事実としておきたい側は、これに異を唱える立場を「歴史修正主義」と呼びレッテル貼りをしてきた。アメリカでは戦後まもなく、主に共和党の側から「歴史修正主義」が出てきた。近年ではこのマッカーサー証言を裏付ける著作も多数出版されるようになった。その代表的人物が、ルーズベルトに大統領選で敗れた共和党ハーバート・フーバー元大統領であり、ルーズベルト政権時の共和党党首ハミルトン・フィッシュであり、アメリカ歴史学会会長も務めたチャールズ・A・ピーアド博士であろう。特にフーバーは大戦当時からルーズベルトの思惑を見抜いていた。後に共和党からの大統領候補を目指したマッカーサーの先の証言にはフーバーの影響も大きいことから「マッカーサー史観」は「フーバー史観」と言ってもいいだろう。1933年から1952年までの20年、アメリカはルーズベルトとトルーマンによる民主党政権が続いた。米民主党政権はヨーロッパ戦線への参戦を目論むも国民の85%が戦争介入に否定的だった。そんなアメリカ世論を戦争に向かわせるには、日本がアメリカに攻め込む状況を作り出すのが得策と考えた。そのため、日本人に対し人種差別意識を持っていたルーズベルトは、かねてから策定していた対日戦争計画であるオレンジ計画を基に、排日移民法やABCD包囲網による禁輸、さらには議会にも世論にも隠して日本に最後通牒ともいえるハル・ノートを突き付け、日本を「戦争やむなし」の状況に追い込んだ。さらにルーズベルトの死後、あとを継いだトルーマン大統領は使う必要のなかったウラニウム型とプルトニウム型の2種類の原爆を広島と長崎に落とし大量殺戮を行った、というのがフーバーの確信であった。
「なぜ日本ではマッカーサー史観が広がらないのか」
アメリカでは「あの戦争はルーズベルトが日本に仕掛けた戦争だった」といった史観がある一方、当の日本でそういった議論はあまり出てこない。ポツダム宣言を受け、関連文書を焼却し史実の研究が十分できないこともその一因であろうが、より大きいのは、ひと言でも東京裁判史観に批判的なことを言うと、とたんにマスコミから総バッシングを受け、潰されてしまう現実があるからではなかろうか。日本は1952年のサンフランシスコ平和条約発効により独立を果たしたが、それ以降もGHQが占領下でとったWGIP(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム、戦争贖罪意識構築プログラム)政策が効き、憲法や教育基本法などを扱う法曹界、官僚機構、マスメディアなどが東京裁判史観を自己増殖させ、政治家をはじめ誰として東京裁判史観を逸脱した言論を展開できない社会を作り上げてしまった。江藤淳氏がいうところの「閉ざされた言語空間」である。今尚日本は、当時のアメリカ政府の意を汲んだ国内勢力が隠然たる影響力を行使していると言える。日本には国連中心主義を是とする政治家も多いが、国連とは先の戦争の戦勝国によって作られた国際組織で、今も日本やドイツは国連憲章において「敵国」とされている。つまり国連中心主義を推し進めるということは東京裁判史観をさらに強固なものにしていくことを意味するのである。
アメリカの外交姿勢には伝統的に二つの大きな流れがある。一つは積極的国際平和主義と言われるものだ。国際平和を標榜するも時には意図的に紛争を作り出してまで自国の覇権を拡大しようとする考え方で、歴史的には民主党政権時にこの姿が表出する。もう一方の流れは、共和党の伝統的な外交スタンスである不干渉主義で、一国平和主義とも言われる。トランプ大統領流に言うなら「アメリカ第一主義」ということになろう。前述したように、先のヨーロッパ戦線で民主党ルーズベルト大統領は、ドイツによるポーランド侵攻に対し、イギリスとフランスを焚きつけてドイツと紛争を起こし、ソ連を味方に引き込むとともに、これに介入するためドイツと同盟国であった日本を太平洋戦線に引き込んだ。これが積極的国際平和主義の現れ方だ。この時代、アメリカのリーダーが共和党のフーバーであったら不干渉主義を取り、ドイツとソ連が戦火を交えるならそれを放任し、両者弱ったところで介入するといった戦略をとったかもしれない。そうであれば日本はアメリカと戦争にはならなかった。「歴史は繰り返す」と言う。不干渉主義に立つアメリカ共和党トランプ政権は、ロシア‐ウクライナ紛争をどう解決に導いていくのか注目したい。
「日本のマッカーサー史観の旗手は誰か」
安倍晋三元総理が掲げた「戦後レジームからの脱却」とは東京裁判史観からの脱却も視野の先にはあったと私は受け止めている。その安倍元総理は何者かによって暗殺されてしまった。保守政界ではこの後遺症は大きく、当分は戦後レジームの脱却を掲げ、体を張って戦える政治家及び政党の台頭は難しいと思われる。
では誰がマッカーサー史観を日本で広げる旗手となり得るのか。皮肉な話だがマッカーサーによって与えられた日本国憲法には、主権者は「国民」と書かれている。主権者たる国民が自らの頭で学び考え、マッカーサー史観を一人ひとりの常識にまで落とし込んでいくことがスタートになるのではないか。考えてみれば「東京裁判史観」とは法律に定められているわけでも何でもない。閉ざされた言語空間の中で私たちがただそう教えられ思い込んでいるだけの話なのだ。国民の大多数の常識が「東京裁判史観」から「マッカーサー史観」に変われば、いずれ日本の政府もマスコミも教育界も変わらざるを得なくなる。
戦後相当年数が経ち、ようやく当時の機密文書が公開され分析研究の成果が世に出てきた。数多の批判のための批判に耐え、「あの戦争の真実はこうだ」と主張してきた先達に心から感謝を申し上げたい。史観の見直しには一定の時間経過が必要とはいえもう80年だ。今が「その時」なのではないか。これは今の時代を生きる私たちの責任であり役割だと言ってもいい。これに対し「80年前の見方を変えたところで過去が変わるわけでもなかろう」という人もいるだろうが、それは違う。マッカーサー史観が日本人の常識になれば、過去も変わる。ルーズベルトが自らの戦争行為を正当化するために作り上げた戦勝国史観=東京裁判史観により、戦後の日本は誇りと尊厳を傷つけられ、このままでは将来世代もこの十字架を背負わされることになる。国際社会の現実はマッカーサー憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」といった綺麗ごとの世界ではないのだ。確信的左翼には何を言ってもどうしようもないが、多くの真っ当な日本人が、フーバーやフィッシュやピーアドやマッカーサーの歴史観を受け入れることで、祖国や故郷そしてかけがえのない家族を守るため尊い命を犠牲にして逝った先達の魂が救われ、次に続く同胞にも力を与えることができる。80年も経つとこれはもはや外交問題ではなく日本の国内問題である。誤解を恐れず言えば、戦争に正邪はない。時の為政者の政治的思惑のぶつかり合いの延長で戦争は始まり、軍人同士が戦い無辜の国民が犠牲になる。アメリカにはアメリカの言い分があるように、日本には日本の言い分があってしかるべきだ。日本がこの内的覚醒を果たすとともに、アメリカが日本の意志を受け容れる寛容さを持てば、日米同盟はさらに信頼関係を強め、国際社会の平和と安定に尽くせるようになるだろう。
未だ私たち日本人は「戦後」を生きている。今も「戦後80年」と言っているのがその証拠だ。今後10年でマッカーサー史観、フーバー史観が日本人の常識となり、20年後には「戦後100年」という意識を脱ぎ捨てた真の独立国・日本になっていることを期待したい。それこそが私たち日本人が目指すべき「戦後レジームからの脱却」であり、安倍元総理が命を懸けて果たしたかったものではなかったか。